友達に会ったよ(ぽっぽアドベント)

毎年このためにはてなに帰ってきます。はとさん(http://blog.hatena.ne.jp/ibara810/)主催のぽっぽアドベント、今年のテーマは「ゆきてかえりし物語」です。

https://adventar.org/calendars/11587

 三月にはとさんが鹿児島に来た。ぽっぽアドベントの主催者であるはとさんである。あとから思えば、これが今年のわたしのやるべきことを決めたんだと思う。あとから思えば。

 空港にはとさんを迎えに行き、桜島がよく見える海沿いの道を走りながらご贔屓のアイドルについての話を聞いた。鹿児島に来た目的のひとつである、その夜にライブするバンドについての話を聞いた。それから友達と合流してラーメンを食べ、タワーレコードに行き、はとさんの好きなアイドルの特設コーナーなどを詣でた。鹿児島出身であるそのアイドルゆかりの地をまわり、ライブに行き、ご飯を食べて、ホテルまで歩いてそこで別れた。それはよくある話なのかもしれない。一部のオタクは地方にライブに行くついでにそこに住む友達に会い、ゆかりの地をまわり、美味しい物を食べるものなのだ。

 五月に実母の実家でバーベキューをやるので来ないかと誘われた。別に仲が悪いというわけではないが、祖父母が亡くなり、わたしが結婚してからはなんとなく疎遠になっていた家だ。そうじゃない?「実家の母の実家」って、もうほぼ他人じゃないですか。なので正月の挨拶以外で顔を出すこともなかった叔父の家に久々に招待されたのだ。バーベキューには40人近い人たちが集まっていた。親戚ほぼ全員である。本当に久しぶりに会う人たちばかりであった。近況を報告し、肉やおにぎりやマシュマロを焼き、お酒を飲んだ。赤ちゃんの頃しか会ってない親戚のうちの子どもがいつの間にか大きくなっていた。叔父たち、叔母たちは思いもかけず、歳をとっていた。

 その後義姉が久しぶりにうちに遊びに来たとき、バーベキューの話題になり、そのときの写真を見せた。義姉のぜんぜん知らないたくさんの人たちが楽しそうにしてる写真を彼女は飽きもせず何枚も何枚も眺め、それから言った。「すごくいいね。うちもこういうのやろうよ」

 夏に入ったころ、遠方に住んでいるもう一人の義姉と、甥が日程を合わせて帰省してくるタイミングでうちにも親戚を集めた。家族同然の付き合いをしてる隣人家族を含め二十人ほどが集まり、宴席を設けた。東京で働く甥はおそろしく垢抜けていた。

 起きたことはそれだけだ。親戚が集まりました。それだけ。

 いなかった人たちはいた。母の三人の姉のうち一人は逝去、一人は入院していた。従姉の夫も亡くなっている。義姉の夫も、隣人の息子の妻も。毎年正月に当たり前に集まっていたメンバーは、もう二度と完璧な形では揃うことはないのだ。

 癌サバイバーである義姉は、わたしの母方の一人も知らない親戚の写真を熱心に眺めながらわたしにこう言った。

「会いたい人には会っておきたいんだよね。いつ死ぬかわからないんだから」

 わたしはそれを聞いて、母の実家がなぜ突然バーベキューなど開催したのかやっと理解した。母の兄もまた、去年大病で入院していたのだ。

 親が財産の整理を始めた。「なにかあったら、全部ここに書いてあるからね」という書類の入った引き出しの場所を教えられた。「先々のために」かけていた保険をどんどん解約して現金に変えていった。「先々」なんかないみたいに。

 もうあまり時間がないのだ、と思った。

 いつ死ぬかわからないから、会いたい人には会っておきたい。

 義姉のその言葉にわたしが思い出したのははとさんのことだった。あの人は、と思った。

 あの人は、もうそれをやっているのだ。

 大病をしたからとか癌を克服したからとか歳をとったからとか、もちろんそんな理由でそうするのは大切なことだ。だけど、基本的に、われわれは、一人の例外もなく、誰しもが「もうすぐ死ぬ」存在である。もうすぐの期間がそれぞれにあるだけで、人はみな、生きてる限り、もうすぐ死ぬことに変わりはないのだ。

 大病をしてなくても、歳をとっていなくても、会いたい人には会っておかなければ。横浜から鹿児島までわたしに会いに来てくれたはとさんみたいに、特に死ぬ予定なんかなくても。

 わたしは人見知りが激しく陰気な性格で、趣味も映画や読書や音楽など一人でできることばかりである。休日にやることは映画を見ること。人と会うのは疲れるから好きじゃない。でも。

 年賀状でしかやり取りしていなかった友達に連絡を取った。気乗りしなかったので何年もスルーしてた毎年の同窓会に参加してみた。友達の子どもの学習発表会やバレエ発表会、バスケの試合も見に行った。サボってた手話サークルに顔を出した。ママ友と日帰り旅行に行った。観光会社が企画するバスツアーである。ビール工場を見学してビール飲んだり梨狩りしたり温泉に入ったりするツアー。バケットハットをかぶりモンベルのナイロンバッグを斜めがけにしてニューバランスを履いた中年が友達同士で連れ立ってバスの後部座席でカリカリ梅を交換したりするあれです。お若い方々にはピンとこないかもしれませんが、あれは、ものすごく、楽しい。ということがわかった。あれは楽しい、大人の遠足です。

 あと、義母の友達と仲良くなった。

 義母は後期高齢者で、運転免許も返納している。田舎は交通手段がなく、仲の良い友達と毎晩のように電話しているが、会うことは稀になった。なのでわたしが連れてゆくことにしたのだ。

「お母さんの友達で、この町に残ってる人って何人くらいいるの?」

 そう尋ねたところ、義母の仲のよい友達は四人いることがわかった。わたしは思った。なんだ、じゃあ全員一台の車に乗れるじゃん。

 九十近い義母とその友達を連れてうなぎを食べに行った。蕎麦を食べに行った。テーブルの七輪で地鶏を焼く店に行った。つつじを見に行った。紅葉を見に行った。絶対に映画を見ると決めていた休日を、なるべくそういうことに使うことにしたのだ。母たちは楽しそうで、七輪の炭に地鶏の脂がしたたりおち大きな音を立て煙が出るたびに少女のように歓声を上げていた。わたしは食の細い後期高齢者が食べきれない地鶏やうなぎをありがたく三人前ほどもりもり食べながら、こんなふうに何歳になってもずっと仲のいい友達がわたしにもいるかな、みたいなことを考えていた。

 人はいつか死ぬ。死ぬ間際に義母が思い出すのが、十五歳をともに過ごした友人たちとの輝くような日々であってもいい。だが、九十近くになってからその友人たちと紅葉を見た、ごく最近の思い出であってもいいはずだ。

 わたしたちはいつかみんな逝く。帰ってくることはない。けれど会えるうちに会っておけば、わたしたちはいつでも帰って来られるのだ。バーベキューをした、紅葉を見に行った、そのことを思い出すたびに故人はあなたのところに帰ってくるのだ。

 これがわたしの今年の「ゆきて帰りし物語」です。「人と会った」という、ただそれだけの物語です。でもまあ、みんなもやったほうがいいよ。いつか死ぬんだから。

 

明日はるこさん(@rucochanman )です!みなさん良いお年を!